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エスモードの教材のひとつに、一着のメンズスーツがある。 縫製されてから20年近くなるが、型崩れもなく、しつけ糸がたった今、取り払われたばかりと言ってもおかしくないくらいだ。 端正で伝統的なシルエットを持つその ジャケットは、エスモードの雰囲気とは多少違和感がありそうだが、若きテーラーが育っていく姿を、眼を細めて見守っているかのようだ。 実はこのスーツ、あるきっかけで前の持ち主から戴いたものである。 それは誰かって? この文章を読んでいけばきっと判るだろう。 僕はエスモードに2004年9月から約2年間、在職していた。 それまで、体育会系でファッション業界に関わったことなどまったく無かった僕だが実は僕の母は、小さな洋裁教室をやっていたのである。それにも関わらず、自分が着るものに対してまったく無頓着だった僕が、デザイナーやパタンナーを育てる学校で、働くことになったというのは、やはり何かの因縁だったのだろう。 洋裁教室といっても、自宅の一間で、近所の若い人から僅かばかりの月謝を貰い、嫁入り前の手習いの一つとして、自分の洋服を作る生徒さんに縫い方を教え、母は母で注文を頂いた服を作りながら、生徒さんが行き詰ったらアドバイスしたり、手元を見せたりして、一緒に服を仕上げていくというレベルのものであった。幾何学的な曲線が描かれた茶色の紙は、常に身近にあったが、何をするものか全く知らず、エスモードに来なければ、それがパターンで、服の設計図だという事も知らずにいたであろう。 さてエスモードで仕事を始めて数日後、教室の戸締りや火の元のチェックをしながら、ふっと、アイロン台に手を乗せてみた。まだぬくもりが残るアイロン台に漂う、生地が微かに焼ける匂いを嗅いだその瞬間、母の洋裁教室の光景が40年を超え一気に蘇った。仕付け糸を通し、右手で引っ張りながら、チョキ チョキと手際よくチャコで生地に線を引き、ザクッザクッと走る裁断バサミ。 頭に刺さらないかいつも心配だった、針を髪の毛の中にサッサッと通す母のしぐさ、軽快にリズムを取るシンガーのミシン 子供の頃、常に身近にあった光景が一瞬のうちにリロードされ、そして一つ一つは、エスモードで見かけたさまざまなシーンと鮮やかにリンクしていく…… 学生たちのファッションや話し方に馴染めなかった僕は、定時にやってきて、多少の残業をやり、帰って行くというくたびれたおじさんのまま、あっという間に一年が過ぎた。もちろん学生たちとの会話など皆無であった。そんな時にひょんなことからした手に入れたスーツ。 何着かまとめて戴いた翌日、さっそくそのスーツを着て通勤を始めた。ジャケットの裾が少しばかり短いが、その他は誂えた様にぴったりで、鏡の前に立つとえらく出世したような気分になった。タグには”TAIROR MORIWAKI AOYAMA TOKYO”と記されていた。 「なんだアルマーニじゃないんだ。だけどいいものなんだろうな。」と言うのが第一印象だった。 スーツと一緒に、襟が白、見頃は色付きでカフスボタンで留めるようになっているYシャツも何枚か戴いた。 右内ポケットの部分にはT.A (TAYAMA ATUSROじゃないよ)と、イニシャルが刺繍されている。がエスモードには完全にミスマッチで、まるで代議士の秘書がたまたまエスモードにやってきていると言う感じであった。 だが、街角や駅で、鏡に写る自分の姿がなかなか格好良く見えて、お気に入りの通勤スタイルとなった。そんなある日、一人の男子学生から、「お洒落っすよー!それ。アスコット・チャンでしょ?今朝着てたスーツもただもんじゃないですよねぇ、縫製がすごそーだもん。」と声をかけられたのである。 僕は「へーそうかい。すごいんだ、これー?」と平生を保ちながらも、内心はニタニタだった。 ロッカーからジャケットを出してきて彼に見てもらうと、案の定ただのスーツじゃない。卒業後にテーラーに就職したいと言っていた彼は、イセだとかフラワーホールだとか、僕が知らない言葉を発しながら、骨董品でも鑑定するかのように、一人で納得していたのである。 そんな出来事があってから、学生たちと話をする機会がぐっと増えてきて、世間話や、悩みとか相談も受けるようになり、女子学生からは、その日のコーディネートを批評され、こんな僕が俄にスタイリストを持つようになった。話をしてみるとその外観からは想像もつかないくらい純粋で、服が好きだからエスモードにやって来たんだなあ。服作りは、シャイな彼らの主張を表現する一つの手段なのかもしれない・・・と思うようになった。とにかく彼らと同じ様な眼で彼らと接することができるようになり、彼らとのギャップは見る見るうちに縮っていった。作品が出来上がるまでの大変さをずっと見てきたから卒業コレクションでは、ほとんど涙でかすんでまともに見ることができなかった。ある一着のビスポーク・スーツがきっかけで、僕の考え方を変え、彼らの理解者(ファン)を一人増やしたのだ。 続く→ ーその2 「アスコットチャンでしょ?今朝着てたスーツもただもんじゃないですよねぇ、縫製がすごそーだもん。」...... なんの変哲もないように見えるオーダースーツには、ミリ単位のパターンの調整、仕立ての工夫が詰まっている。テーラー職人の技術や、服に込める愛情が美しいシルエットを生み出す。学生は先生から、アトリエの現場のような教室で、1対1で指導を受けるので、納得のいくまで何度もパターンを引き直し、縫製をやり直し、さらにデザインチェック、といくら時間があっても足りないくらいだ。 僕は日本を離れる前に、少しでも学生の役に立てばと件のスーツを学校に置いて行くことにした。 刺繍されたイニシャルで既にピンと来た人もいるだろうが、実はこのスーツの前の持ち主は、黒光りする髪(あの黒髪は自毛で、奥様の作られるジャガイモジュースのおかげだそうだ)、曲がった口元、趣味の良いネクタイ、4度目の挑戦で、総理に就任したばかりの麻生太郎さん。 どういう経緯で総理のスーツを戴いたかは、また機会があれば話すことにしよう。 服の胸に芯を入れて男らしさを強調した、しっかりした仕立ての、このジャケット, 衿の部分にはボタニエール(フラワーホール)と呼ばれる生花を挿すための穴と、裏側に留めるループがさりげなく縫い付けられている。 官僚然とした政治家のイメージとは違って、スーツに生花を挿すなんて粋なスタイルが似合うのも麻生さんらしい。 自分の目的ってなんだったんだろう?と、自分に問いかけ、なかなか答えを出せないでいた僕に、学生が助言を求めにやって来る。 「エスモードを卒業したら、パーソンズに行きたいんだけど、英語が苦手でどうしようか迷っている。」「アントワープってやっぱりフランス語ができないと駄目ですよね。」 「ニューヨークは怖いそうだけど、」などなど・・・せっかく服をやりたいと言う大きな目的があるのに、メディアや外部の風評に惑わされ、確かに有名デザイナーを数多く輩出しているファッションスクールに行けば、それなりの箔は付くだろうが。だが大事なのは、そこで何を学ぶかであり、それを学びたいから。 「何々をやりたいから、学校に行くと言う考え方じゃないと、何もならないよ。こんなことがやりたいから、パーソンズに行くんだというような、大きな目的があれば、英語だって、向こうの生活だって、自然と慣れてくるよ」と、アドバイスしてきたのだが、それはそのまま、自分に向かって話してるような気がしていた。 僕がエスモードに来た本当の理由は、ここにあったのかも知れない。 そして、今・・・ 人間の手が全く加えられたことの無い見渡す限りの自然の大地を、山が削られ、谷が埋められ、すぅっと描かれた一筋の線は地平線へ溶けていく。 工事のために取り付けられた仮設道路脇には、遊牧民の色鮮やかなテントが張られ、巨大なトラックが巻き上げる土ぼこりの中、無数の羊が草を食んでいる。 整地され、踏み均された現場は絶好の競技場となり、どこからか少年たちが集まってきて、日が暮れるまでサッカーに興じている。 この大地に約2000人の日本人が、4年間で約400キロの高速道路を建設すると言う巨大なプロジェクトを進めている。この中の一人が僕である。 無論、高速道路を作りたいと言うのが、エスモードで見つけた僕の目的ではない。学生たちに刺激され、ようやく眼を覚ました僕は、1つの目的に向かって、自分のやりたいことを実現するため、日本から7000マイル離れた大地にいるのだ。 (H.M. 記)
by esmosbookstack
| 2008-09-21 16:45
| library.com コミュニティー
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